ボーパラ関西7に参加して

 開催前日から、夜行バスにて京都入りしていた。午前5時の京都駅は真っ暗で、初めて見る京都タワーがその暗闇を突き刺すように堂々と立っていた。何とも言えず、雰囲気の良い暗闇だった。面白いな、と思った。

 

 

 7時を過ぎる頃にはだいたいのお店の明かりが灯り始め、シャッターをあげる音とともに京都駅を行き交う人も多くなる。6時頃に朝マックで朝食を済ませた後、京都駅の地下の一角で時間になるまで待って、単身京都タワーへ。京都タワーの地下に大浴場があったため、そこで長旅の疲れを洗い流した。

 

 

 その後、とりあえずホテルの場所を確かめ、ホテルの最寄の駅にあるコインロッカーに主な荷物を預けた。そのまま電車に飛び乗って、乗り継いでたどり着いたは「太秦映画村」。実に高校生の家族旅行以来である。ツイッターにも写真を載せたが、前日は1日たっぷり時間があったのだ。

 

 一通り見て回っているとそれなりに懐かしさがこみ上げてくる。高校生の頃に家族と訪れた食事処はまだ現存しており、その日も通常営業をしていたため、迷うことなくそこに入った。僕が一番客だった。天丼とお蕎麦のセットを注文。やっぱり美味しかった。

 

 

 

 

 

 ツイッターでもそれらしいことをつぶやいてしまっているけれど、僕の家庭は他の家庭の話と比べる限り、あんまり一般的な家庭ではなかったようだった。

 

 そもそも僕自身が全く一般的な、できの良い子供ではなかったことが多分に影響していると思っているのだが、幼少の頃から家や、その外でのことに対してあまり良い思い出がない。全体的に見て仕方がなかった部分、運が悪かった部分も沢山あるし、全てにおいて悪いことしかなかったわけでもない。その往々にして僕が悪い部分も、もちろん多分にあると感じている。

 けれど、縁あってこちらに引っ越してくるまでの期間は結構、本当に結構辛かった。そして、自分が被ってきたその辛さに気づいたのは、間抜けなことに引越して、一人暮らしをしてしばらくした後のことだった。それまでは「これが普通だ」と思っていたし、僕の家族は普通に幸福だと思っていた。

 

 

 

 

 

 そんなことを太秦のベンチでぼーっと思い返しているといつの間にか時間が経っていた。腰を上げて太秦を出る。出口で全然別のスタッフの方、三人から「ありがとうございました」と温かい笑顔で送り出された。太秦よ、永遠なれ。心の中でつぶやきながら太秦を出て、そのまま市営バスに乗る。

 

 

 バス、電車を乗り継いで向かった先は東山駅。駅からほど近い場所にあるギャラリーさんで行われていた、親友・帽子屋(@denkyu_getemonoさんの参加しているグループ展を見に行った。ギャラリーさんの二階部分で行われていたグループ展は、ドアを開けると部屋の真ん中に主催者の近藤さんが鎮座していた。壁一面に参加者の絵が展示されていて、一通り眺めて、帽子屋さんの絵については写真に収めた。Twitterにもアップしてあるので、詳しくはそちらを参照されたい。

 

 僕のすぐ後に一風変わった方がお客さんとしてこられて、しきりに近藤さんに話しかけられたり名刺を渡したりしていたため、「明日も帽子屋さんとくるかも」と近藤さんにお伝えして、僕はお暇させていただいた。その後、ギャラリーさんのすぐ近くにあった美術館、その一角に併設されているスターバックスでちょいと休憩。三階の眺めの良い場所でくつろぎながらコーヒーが飲めた。僕には似合わん。そんな風に思いながらここでもポケーッとしていた。

 

 

 

 その日の主だったこととしてはそれくらいで、後はホテルに戻ってツイッターを確認したり、帽子屋さん、友人の夜見しのぶ(@yomi_shinobuさんと当日の最終打ち合わせをDMで行って、早めの就寝。

 

 

 

 翌朝、すぐに目が覚めて、単身、京都パルスプラザへ。待ち焦がれたイベントへの初参加が、ようやく叶った。

 

 

 会場にて帽子屋さんと落ち合って、会場入り。割り振られた場所で早速設営を開始して、11時になると同時に号令、一般参加の方々が続々と会場に入ってきた。そのすべてが圧巻だった。本当に新鮮で、目から鱗が落ちるようだった。

 

 

 会場でお会いできたのは、友人のマトリシア(@matorisiaさん、友人で、一方的にファンだった月草 淡(@moon7518さん、同じく友人で歌い手さんである芽野さぎり(@meno_sagiriさん。みなさん僕のCDを購入して、あまつさえお菓子まで手渡してくださった。感動しかない。コミュニケーション能力不足がたたってうまく話ができなかったものの、本当に優しい方々で、一時でも話ができて本当に幸せだった。

 

 また、印象に残っていることとして、とある男性が僕たちのブースに来て、僕のCDを何も言わずに買ってくれたこと。後にも先にも名前を存じ上げない方からの購入はこの人だけだった。名前を聞けばよかった。

 

 あまりにも悪いと思ったので、こちらから視聴を勧めて無理やりのような形で「さよならヴァンパイア」を聴いてもらったのだが、途中で視聴を切り上げて購入していかれた。後でわかったことだが、淡さんが同様に「大きな夢の木の下で」と言う曲を視聴してくださった時に音量がうまく出力できていなかった事態が発覚したため、おそらくあの方は「さよならヴァンパイア」を聴けていなかったのだと思う。それなのに買ってくれたあの方には本当に感謝しているし、印象に残っている。

 

 

 また、帽子屋さんのイラスト本が完売したことも非常におめでたいことだった。これもすごく印象に残っているし、改めて帽子屋さんの凄さ、帽子屋さんのイラストの凄さを感じさせてくれた。帽子屋さんのイラストの後ろには、帽子屋さん自ら作成された原画POPを用意してこられていたのだが、それに惹かれてブースに来てくださる方が大多数おられたため、こちらも本当にすごいなとずっと感心していた。このような人が友達であることを改めて誇りに思う。

 

 帽子屋さんの本のお釣りの関係で、僕が用意してきた百円玉が切れてしまった時に、ヒーリングP(@healin_mcptさんがTwitterを通してアドバイスをくださったのも本当にありがたかった。ブースの写真を見てたくさんの人が反応をくださったのも涙が出るくらい嬉しかったし、ハルパ(@polarazenmashiさんが応援メッセージをくださったこと、のの(@sweetsparade79さん、Fia(@Fia_FairyTailさんが「CD買いたい」と言ってくださったこと、そして、そして、すべてが終わった後に盟友・ミヤ(@crepe173さんがかけてくれた言葉「お疲れ様でした」。

 

 大げさな表現では決してない、そのすべてが、僕にとっての大きな大きな宝物になった。

 

 

 

 音楽が、ボカロが、何もなかった僕をここまで連れて来てくれた。

 

 ミヤさん、帽子屋さんをはじめとした友達が、僕をここまで連れて来てくれた。

 

 

 

 青春時代、僕には友達が一人もいなかった。家庭もあんまりよくなかった。そんな中で、唯一僕のそばにいてくれた親友がたった一人いた。辛いことも楽しいことも全部話せたのは多分、そいつくらいだった。その親友と約束していたこと。スカイプで夜が明けるまで延々話していたこと。

 

 

 

 

 

 

「イベントとか参加してさ、『イベントお疲れ様でした』って言ってみたいよな。めっちゃ憧れる」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なあ、3年かかったよ。お前が音楽を「お前のせいでやる気無くした。やめる」って僕に言ってやめちゃって、連絡も取れなくなっちゃって、僕も「音楽をやめよう」、「小説をやめよう」と思ってから3年かかったよ。

 

 もう同人イベントの参加も、まして出店なんて無理だろうなと思ったし、そんなこと思いすらしなかったよ。でも諦められなかったわ。どうしても諦められなかったわ。気がついたら曲作ってたし小説書いてたわ。そしたらさ、友達ができたよ。もう二度とできないと思ってた盟友、親友ができたよ。お前やみんなが「こんな酷いもの聴かせるな」って言った曲を「本当に良い曲だ」って言ってくれる神様みたいな人ができたよ。気がついたら「大佐さん」って呼んでくれる人が何人もできたよ。信じられるか? お前が途中で諦めちゃったこと、「もうええわ」って言って諦めちゃった言葉を、3年かかってようやく言えたよ。

 

 涙出てくるよ。僕は一人じゃなかったよ。僕はこれからも音楽や小説を続けるつもりだし、お前はお前でやっていくんだろ? もう本当に長くて嫌になりそうだったけど、やっと、やっと、お前に依存せずに生きていけそうだよ。ありがとう。ただ、ただ、本当にありがとう。

 

 

 

 

 イベント終了後、Twitterに一言打った文章、本当に言いたかった文章を、これから引っ越す前の東京の部屋で打っていた。その時の僕は本当に泣いていた。

 

 

 

 

 『ボーパラ関西、イベントお疲れ様でした』